禅的処世術
2日間連休をとっていたので、その間、予定が入っていた趣味の活動やその他をこなして、いいリフレッシュ休暇になった。
私の今の生活において職場での時間はほんの一部に過ぎず、それにこだわる必要は全くないのだと改めて感じることができた。
しばらく忘れていた「禅的処世術」があったじゃないか!と思い出した。
それは、他人に不快な言葉を投げかけられたら、それは言葉ではなく単なる「音」なのだと思うようにするということだ。相手の言ったことに意味を見出すから気持ちが乱れるのであって、意味のない「音」だと考えれば何も辛くない。
意味を理解出来ない外国語でなら、どんな罵詈雑言を浴びせられようとも平気なのと同じ理屈だ。
これは、僧侶であり作家の小池龍之介さんの著書「沈黙入門」(幻冬舎文庫)にあった対処法だ。(最近のブログにあった玄侑宗久さんの本といい、ほんとに私は禅が好きなんだなぁと思う。
そもそもこのブログ名「閑古錐」も禅語だ。)
「沈黙入門」の中に、嫌な言葉も念ずれば「ただの音」という項がある。
私の本棚から探し出してきて、久々に読み返してみた。
「嫌な言葉を聞かされてしまった時、耳に意識を集中して心の中で「音、音、音」と繰り返し念じてみる。」とあった。普段からこれを実践することを「非難訓練」と称していた。
話題は変わるが、先日土曜日の深夜、Eテレでかつて放送されていた「オトナの一休さん」全23話が一挙再放送された。録画予約して観た。きょうまでに三度、繰り返し観ている。本放送の時からこのアニメのファンだったが、何度観ても面白くて、為になる。
明日からまた仕事だが、禅の精神で軽やかに乗り切れそうな気がしてきた。