閑古錐〜生涯挑戦主義(毎週木曜更新…の予定。)

禅を愛好する、某スーパー勤務おばちゃんの日々

これまでの暮らしと、これからの生き方

7月に入った。(暦によると7日が月変わりらしいが。)

きょうは休日。ゆっくりコーヒーを飲みながら、ブログを作成している。
コーヒーといえば、図書館に予約していた本、「珈琲が呼ぶ」片岡義男著)を、ようやく読むことが出来た。予約したのが2018年12月だから、一年半待ったことになる。ネット予約が出来るようになってから、予約しても待たされることが多くなったが、これほど長期間待ったのは初めてだ。多くの人の手を渡ってきたであろう割には、本が傷んでいなくて綺麗なのは意外だった。本を丁寧に扱う人々が読んでいたのだろうか。私も本は丁寧に扱う方だと思うが、綺麗な状態で渡ってきた本を見ると、改めて、大切に読まなければという気持ちになる。

これまでにあった事を、思いつくままに綴っていこうと思う。
感染拡大防止対策の行動制限が解除され、私の生活パターンも徐々に元に戻ってきている。
7月1日は北海道神宮「ついたち参り」に行ってきた。毎月恒例の参拝だったが、外出自粛要請が出てから控えていた。参拝は初詣以来だった。
毎年この時期に境内入り口に取り付けられる「茅の輪」をくぐるというのも目的だった。同じ考えの人が多いらしく、思った以上に境内は大勢の参拝者がいた。本来、この「茅の輪くぐり」は三回くぐるのが習わしなのだが、今年は感染対策の「密」を避ける為、一定の距離をとっての行列が出来ており、三回くぐるのは難しいと判断して一回で遠慮した。

美容室へカットとパーマの予約もした。美容室は2月に行ったきりで髪が伸び放題で、鬱陶しさも限界だった。ここも感染防止対策で、同時間の施術人数を2名までと制限しているとのことで、最初の希望日は予約がとれず、10日後の予約がようやくとれた。行動制限が解除されて人々が一斉に動き出しているのだから、こうなるのは当然といえば当然だが、今後は何でも「先手」「先手」を心がけようと決める。そういえば、私の好きな言葉の一つに、「先んずれば人を制す」というのがあった。今後の座右の銘にしよう。

ネットで今週の星占い(6月29日〜7月5日)を見たら、「自分の情熱を何に注ぎたいか、はっきりさせよう。」という言葉があって、強く心に響いた。

これまで私は、興味をもったさまざまな事柄に手をつけてきたが、「これ!」という一つに絞り込めていないと感じる。なにより、収入(生活していけるだけの。)を得られているものは何もない。これまでに、一応は目的を達成した事柄をあげてみる。

普通自動車免許取得 現在も車の運転は続けていて役立っているので、「収入」には結びついていないが、これは「身になっている」事柄としよう。


ワープロ検定3級   仕事の傍ら専門学校に通って取得。これは現在大いに役立っている。

「収入を得られているものは何もない。」と記述したが、よく考えてみれば、これだけは収入に結びついていた。前年から続けている、パソコンでの副業だ。金額は微々たるものだが。

 

歯科助手      仕事の傍ら専門学校に通い、資格試験に合格。その後、とある歯科医院に採用されたものの、院長が今でいうパワハラ体質で、精神的にダメージを受けたあげくクビになった。以来、私の中でこの資格と職種は封印した。(これは今思い返しても不愉快極まりない過去。)

書道師範位     通信教育で取得。しかし、約五年前に書道をやめたので、これといって役立っていない。 

かぎ針編み講師   子供の頃から編み物が好きで、それを活かせないかと通信教育で取得。現在、その手芸協会の会員だが、これといった活動はしていない。(毎年会費がかかるので今後どうしようか考え中。)


日商簿記検定3級   これは、私のこれまでの人生で、最も合格が嬉しかった資格。だが、今のところ、これといってこの資格を活かせていない。  

 

自分で着物を着る   資格取得ではないが、着物教室に半年通い、まったく着られない状態から、一人で着て外出できるまでになった。

 

今のところ思いついたのは、これだけ。
けっこうあるじゃないかと思うが、しょせん自己満足か?
簿記に関しては、さらに上の2級を目指しているので道半ばだ。

紆余曲折を経て、希望していた職業に就いているという人がインタビューで、「人生において無駄なことは一つもない。」と語っていたのが印象に残っている。 今思い出した。50代後半にして女優デビューを果たし、昨年に異例の大ヒットをした映画「カメラを止めるな!」で脚光を浴びて現在も活躍中の女優、「どんぐり」さんだ。  
私も、「これまでやってきた事は、すべて今の仕事には必要だった。」と語れるようになりたい。

きょうの禅語

過(とが)を作(な)す者は暗く 福を為(な)す者は明るい

過ちをおかしている人の顔は暗く、福を行う人の顔は明るい。 
福を行う人〜後ろめたい事がなく、毎日を誠実に生きている人〜と私は解釈した。いろいろな経験をし、苦難を切り抜けてきた人の顔は明るく光輝いている。