閑古錐〜生涯挑戦主義(毎週木曜更新…の予定。)

禅を愛好する、某スーパー勤務おばちゃんの日々

本日再びのブログ

今朝、出勤前にブログを作成したが、まだ書きたい(入力か?)ことが多々あるので、私のブログでは初の、「同日に再びブログを作成」をすることにした。

今朝の、「挨拶」の話題の続き。
僧侶であり、芥川賞受賞作家でもある玄侑宗久さんの『ベラボーな生活 禅道場の「非常識」な日々』(朝日新聞社刊)というエッセイ集の中の、「挨拶の力」という項を思い出した。

玄侑さんがかつて修行をしていたお寺の管長(お寺で一番エライ人)のスゴさについての話なのだが、その管長さんは、毎朝の日課の散歩の途中に必ず会うおじいさんに、三年間、「おはよう御座います。」と丁寧に挨拶をし続けたという。

これだけだと、「それのどこがスゴいんだ?」となるだろうが、挨拶をされたおじいさんは、それに一度も答えることなく、それが三年間続いたのだった。
挨拶されて三年間も無視し続けるというおじいさんもすごいが、それに対して管長さんは、腹を立てるでもなく、「なぜ挨拶しない?」と詰め寄るということもなく、毎朝変わらず平然と挨拶をし続けたのだそうだ。(そして三年後、おじいさんに大きな変化が起こるのだが、それはここでは省く。)

ここでは「挨拶」だが、自分が相手にしたことに対して、期待(あるいは予想)した反応が返ってこないと、誰しも、ガッカリしたり悲しくなったり腹立たしくなったりするものではないだろうか。だが、よくよく考えてみると、それは、自分の「欲」が満たされないからだ。何も見返りを求めず、淡々と物事を続ける、という姿勢でいた方が、楽な気持ちで過ごせるのではないだろうか。

ということは・・・今朝のブログの話題で、私が挨拶を返さなかったといって他人に不満をもらした誰かさんは、間違っているぞ! 

・・・・と言いたいが、そう言えるほど私は立派な人間ではない。

そういえば、「挨拶」という言葉は、もともと禅の言葉だそうだ。

 

禅の話題のあとでナンだが、神社に初詣に行ってきて先程帰宅した。予想はしていたが、やはり北海道神宮は相変わらず大混雑だった。ひいたおみくじは、「吉」。昨年は大吉だったので、ちょっとガッカリしたが、欲をだしてはいけないね。