閑古錐〜生涯挑戦主義(毎週木曜更新…の予定。)

禅を愛好する、某スーパー勤務おばちゃんの日々

あれから私は

前回のブログの日付は昨年の2020年10月23日。
きょうまで約五ヶ月半が経っている。年齢も一歳増えている。
久々なんてものではない期間を経ての更新だが、体調を崩して更新ができなかった訳ではないのでなによりだ。スーパーでのパートの仕事もパソコンでの副業も、変わりなく続けている。

前回のブログを読み返してみた。朝食を摂るのをやめて、ダイエットを開始したということが記されている。現在も朝食抜き生活は継続中だ。そして、肝心の減量はというと・・・。
先程計算してみたら、最重量の時から3.1キロ減!
目標体重まであと1.3キロとなっている。これがなかなか減らないのだが、体調は良好なので、「8:16ダイエット」は、今後も続けるつもりだ。
体調が良くなった事でまず嬉しかったのが、便秘が解消したことだった。それまでは、10日もお通じがないことがザラだったのが、1日か2日おきに便通があるようになった。しかもトイレに長く篭もらなくても済ませられるようになった。これは現在も変わっていない。朝食抜きは私の体質に合っているようだ。

ところで、きょうは新月だ。
ブログを久しぶりに更新する気になったのも、それもいくらか関係しているのかもしれない。
新月に物事を始める(このブログの場合は「再開」だが。)と、なんとなく、良い流れに繋がるような気がして・・・。
毎日更新しなければ!と思うと続けるのが辛くなってきそうなので、「一週間に一度の更新」としてみようと思う。
もう一つ、ブログを更新しようと思ったきっかけとして、長いこと読みかけだった本、「ジュリー&ジュリア」を再び読み始めたこと。主人公は、ブログを始めたことによって人生が劇的に変化した。「そういえば、前に読んでハマった本、「シンクロちゃん」の作者も、ブログを始めたことで人生が劇的に変わったんだったな。」とふと思ったのもきっかけだった。
劇的な、とまではいくかどうかわからないが、「なにか」に繋がるのを期待しつつ、再びブログを続けてみようと思う。

これも久々の、「きょうの禅語」。

境(きょう)は心に随(したが)って変(へん)ず。

私達の境遇は、心の持ち方次第で変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい生活様式(私だけの)

前回のブログを公開したのは9月3日。

更新しないまま、あっという間に10月後半になってしまっている。

いくらなんでももう更新しなければと思い、ログインをしようとしたら、久々なので入力の手順を忘れていて、なかなかログインができず焦った。ユーザー名を勘違いしていた事にようやく気づき、なんとかこの画面にたどりついた。やれやれ。

更新しない間、私自身にはいろいろあったが、健康を害することなく、スーパーでのパートを継続しているのは幸いだ。その一方、新しい生活様式が生まれた。ただし、私だけの。

朝食を摂るのをやめた。
私史上最重量の体重になってしまい、なんとしても減量しなければならなくなったからだった。
たまたまテレビで紹介されていた、「8:16ダイエット」というのを実行することにした。一日の内、食事を摂るのは8時間以内にし、16時間は絶食するという方法だ。
これまで私は、朝食を摂らなければ体に力が入らない、仕事にならないと思い込んでいたが、試しに朝食を抜いてみると、全く逆だった。むしろ、体が軽くて仕事がしやすくなった。朝食を摂っていた時は胃が重く感じていた。食べ過ぎだったようだ。
実行してから昨日で一ヶ月だったが、体重が1キロ減った。食事をして良い8時間の間、特に食事制限はしておらず、菓子類もけっこう食べていたのに、それでも1キロ減と嬉しい成果がでた。
体調もすこぶる良い。驚くほど便通も良くなった。これまで体内に溜め込んだ悪いものが排出されているような感じがする。
この調子で、あと3キロ減を目指したい。

 

 

 

あっという間に9月

久しぶりの更新。
前回が8月3日だったので、ちょうど一ヶ月経っている。北海道の今年の夏は9月としては異例の暑さでまだ8月のような気分なのだが・・・。
浴衣を一回しか着ないまま、単衣の季節になってしまった。9月1日に、北海道神宮に参拝してきた。仕事が休みでそれほど暑くなかったので着物を着て行った。今年最初の単衣だ。帯は簡単に、半幅帯にした。やはりお太鼓よりも断然楽だ。休日に着物を着ると、大したことをしていなくても、「充実した休日」という気分になれる。
神宮では、いつもと同じく、「家族が皆無事で過ごせますように。」とお願いした。(心の中で。)
今も世の中はコロナ禍で怯える毎日だが、私自身と家族は今のところ無事で過ごせているので有り難い。おみくじは、吉だった。
きょうは、先月受けた職場の健康診断の結果票を受け取った。毎年、この結果票を受け取るまでなんともいえない不安を抱えながら約一ヶ月を過ごさなければならないので、出来ることなら健康診断は受けたくない。恐る恐る結果票を開いてみると、幸い、大きな異常はなかったので心底ホッとした。ただ、昨年よりも、数値に「経過観察」の評価のものが増えていた。年齢が上がってくるとそうなってくるのか・・・。いや、年齢のせいにしてはいけないのか。

意外だったのは、昨年は「高い」と指摘されていた血圧が、今年は全く正常だったことだ。今思うと、昨年は、仕事中に慌ただしく検査会場に行って計ったからだろう。今年は、仕事を終えてからの検査だったので、気持ち的にゆとりがあった。

ともあれ、約一ヶ月間の不安が解消して清々した。9月は公私ともに忙しくなりそうなので、今の体調を保って取り組まなければ。
占いによると、今年の私の運気は9月がピークらしい。「よ〜し、やるぞ!」という気になってくる。

 

 

 

これは一体?

12日振りの更新。

既に8月に突入している。新型コロナウイルス感染拡大で毎年の風物詩的イベントが軒並み中止になり、季節感に欠ける日々を過ごしている内に、今年もあと4ヶ月を残すのみとなった。
久々にこのブログの「アクセス解析」を見てみたら、7月19日に、「145」という数字があって目を疑った。私にとっては驚異的な多さだったからだ。何かの間違いでは・・・ないよね?
一体、何があったんだ? この日だけが、飛び抜けて多いのだ。
しばらくブログ更新をサボッていたが、またやる気が蘇ってきた。何事もコツコツ続けていれば、いつか思いがけない良い事があるということか。


8月1日に、北海道神宮に「ついたち参り」に行ってきた。この日は仕事が休みだったので、暑くない早朝の内(この日の札幌の予想最高気温は30℃だった。)にと、8時に自宅を出た。
ちょうど土曜日だったので、市営地下鉄が土日祝日に限り乗り放題の「ドニチカきっぷ」を購入した。(520円)
9時前に北海道神宮に到着したが、思っていたよりも参拝者が多くいた。「ついたち参り」をする人は、けっこういるんだなぁと感心。
参拝を終えて、おみくじをひいた。結果は「大吉」!
先月にひいた時は「末吉」だったので嬉しさもひとしおだった。

けれど、

「油断せずに信神して行い正しく些かも不義の楽しみに身を過たぬ様にせよ」ともあり、気がひきしまった。浮かれてはいけない。
とはいえ、やはり大吉は嬉しい。

 

きょうの禅語。(神社に参拝した話のあとで禅語? と思われるかもしれないが・・・。)

春来草自生(はるきたりてくさおのずからしょうず)
草は春がくれば必ず芽を出す。同様に、人間も自分のやるべき事を信念をもってしっかり行っていれば、必ず芽が出る(報われる)時期がやってくる。と私は解釈した。

なかなか結果が出ない時期が続いてもクサることなく、いつか芽が出ると信じて物事を続けるとしよう。(現に、驚くほどアクセス数が増えたことだし。)

 

超遅咲き?

4日(土)に、一日に2回ブログを作成という張り切りようだったが、その後は更新しないまま、あっという間に二週間が過ぎていた。
本業と副業に奮闘していた。本業の方は、私と同じ売り場担当の同僚が家庭の事情で長期休暇を取っていて、元々人手が足りない上のことなので大忙しとなった。副業の方も、今月は、私自身いつにも増してやりがいを感じる内容で力が入った。この副業も、そろそろ契約期間の一年まであと二ヶ月を残すのみとなった。せっかく慣れてすっかり楽しくなった仕事なのに、残念だ・・・。


と思っていたのだが、先週、継続でまた一年間お願いしたいと打診があった。思いがけないことで、嬉しいやら驚くやらだった。もうすぐ「はい、ご苦労さん。さようなら。」だとばかり思っていたので、首がつながったような気持ちだ。断る理由などないので、その日のうちに、ぜひお願いしますとメールした。

本業も副業も、自分が「求められている」ことが、つくづく嬉しい。有り難い。
とはいえ、若い(20代〜30代)頃は、何度も仕事をクビになっていた私が、ひたすら下り坂の50代の今になって、仕事で必要とされている実感をもつとは・・・。私は「遅咲き」の運命だったらしい。それも「超」がつく遅咲きの。

それはさておき、浮かれることなく謙虚に仕事に取り組もう。(ただし、体力を過信せず。)

きょうの禅語。

遊戯三昧(ゆげざんまい)
遊戯とは、損得や評価などにとらわれずに何かに没頭する状態。三昧とは、物事への執着を捨てて、やるべきことをやりきること。
人の評価や結果をいちいち気にせずに、自分が今やるべきことに我を忘れて向き合う姿勢。

「過去の自分」を、本で知る

きょうは休日なので、徹底的にのんびりしようと決め、夕食の献立を午前中に作り終えた。私は、休日の日は、できるだけ午前中に夕食作りを済ませてしまうことにしている。
料理作りが好きな人はそうではないだろうが、私にとっては夕食作りは「厄介事」なので、さっさと終わらせて心おきなく休日を満喫したいのだ。

先程ふと、居間の隅に長いこと置きっぱなしになっていた蓋付きの籐籠の中身を整理しようという気になって、数カ月ぶりに蓋を開けてみた。読みかけの本と読み終えた本を保管する籐籠だったのは記憶にあるが、どんな本が入っているかはすっかり忘れていた。
文庫本・単行本・古雑誌等、合計12冊入っていた。その中には、私が高校生の時(40年近く前・・・。)に受講していた通信教育「漫画通信教育講座」のテキストがあった。なぜこんなところに・・・? と自分でも可笑しくなった。

気恥ずかしいが、自分自身を改めて見つめ直すというのもいいかと、ここに本のタイトルを記しておくことにした。(雑誌は除く)

ジュリー&ジュリア ジュリー・パウエル 富永和子 訳

著者のジュリー・パウエルが、料理研究家・ジュリア・チャイルドのレシピを実際に作ってみる挑戦の日々を綴ったブログが評判を呼び、一躍時の人となったという実話。私は映画化されたのを先に観て原作本を読んでみたくなった。ブログ作成に興味をもち、自分もやってみたいと思うきっかけになった作品だった。(と、今になって思う。)
映画の方はワクワクしながら観て感銘を受けたが、原作本は読みかけ。

ちあきなおみに会いたい。 石田伸也 著

いつの間にか表舞台から姿を消した実力派歌手、「ちあきなおみ」について書かれた本。ちあきなおみ日本レコード大賞を受賞した当時、私はまだ小学生だったので、彼女の本当の全盛期というのは知らない。この文庫本は2012年の初刷なので、たぶんこの頃に私はちあきなおみの歌、「雨に濡れた慕情」をなにかで聴いて感動したのがきっかけで、この本を買ったのだった。

これは読み終えている。

実年齢より20歳若返る!生活術 南雲吉則 著

この本のタイトルを記すのが最も気恥ずかしい・・・。タイトルにひかれて読んでみたものの、私には実行が困難な生活術なのを知り、読んだだけで終わった本。

心屋仁之助のあなたは「このため」に生まれてきた! 心屋仁之助 著

人生の目的 自分の探し方、見つけ方 本田健 著

この頃から、「答え」を探していた。そして、今も探している・・・。

成功している人は、なぜ神社に行くのか? 八木龍平 著 

この本で北海道内で唯一紹介されている神社、小樽市の「龍宮神社」に私は実際に行ってきた。第92代総理大臣の麻生太郎が参拝に訪れているそう。「成功している」かはともかく、良くも悪くも長きに渡って強い影響力をもち続けている人物なことは確かだ。

あたりまえのことをバカになってちゃんとやる 小宮一慶 著
典型的な自己啓発本。この本の新聞広告の切り抜きが、本の最終ページに挟まれていた。広告を見てひかれて買った本。広告と本の帯に、「このABCを実践すれば、誰でも成功できます。」とある。ちなみにABCとは、本のタイトルの頭文字からきている。「あたりまえ」(A)「バカ」(B)「ちゃんと」(C)。
これの前に記した本、「成功しているひとは、なぜ神社に行くのか?」もそうだが、とにかく私という人間は、「成功したい!」という願望を持っているのだなということがわかる。それはわかるが、私が求めている「成功」とは、一体どんな状態を指すのか? という疑問がわいた。自分のことなのに・・・。この際、しっかり考えてみなければ。もはやいいトシになったのだから・・・。

小さなお店、はじめました SPECIAL  竹村真奈 編著

実在する小規模店(個人経営)数店を写真付きで紹介すると共に、開店に至るまでの体験談を店主に取材し、巻末には開業資金や売上目標のたて方等、専門的な知識も載っていて、お店の開業したい人に向けた参考書的な構成になっている。これは古書店で目に留まって買った本。この頃、まさに私は「小さなお店をはじめる」ことに憧れていた。
2010年9月に初版発行となっているから、今からちょうど十年前の本だ。本に載っている店の中で今も残っているのは、はたして何件あるのだろうか? 更に、予想もつかなかったこのご時世だ。(新型コロナ感染拡大)念願の「自分の店」を手に入れたものの、コロナの影響で閉店を余儀なくされた人も多くいるに違いない。

これからは、店舗を構えないで営業する形態が増えてくるのではないだろうか。私も、もし今後「自分のお店」をもつとしたら、「バーチャル店舗」的なものを目指すことになるだろう。

過去に自分が手にした本によって、かつて自分が何を考えていたのかを知ることができた。これらは今でも興味をひかれる本が大半なので、再び読んでみようと思う。(こうして、未読の本が部屋にますます増えてゆくのだが・・・。)

 

 

 

 

これまでの暮らしと、これからの生き方

7月に入った。(暦によると7日が月変わりらしいが。)

きょうは休日。ゆっくりコーヒーを飲みながら、ブログを作成している。
コーヒーといえば、図書館に予約していた本、「珈琲が呼ぶ」片岡義男著)を、ようやく読むことが出来た。予約したのが2018年12月だから、一年半待ったことになる。ネット予約が出来るようになってから、予約しても待たされることが多くなったが、これほど長期間待ったのは初めてだ。多くの人の手を渡ってきたであろう割には、本が傷んでいなくて綺麗なのは意外だった。本を丁寧に扱う人々が読んでいたのだろうか。私も本は丁寧に扱う方だと思うが、綺麗な状態で渡ってきた本を見ると、改めて、大切に読まなければという気持ちになる。

これまでにあった事を、思いつくままに綴っていこうと思う。
感染拡大防止対策の行動制限が解除され、私の生活パターンも徐々に元に戻ってきている。
7月1日は北海道神宮「ついたち参り」に行ってきた。毎月恒例の参拝だったが、外出自粛要請が出てから控えていた。参拝は初詣以来だった。
毎年この時期に境内入り口に取り付けられる「茅の輪」をくぐるというのも目的だった。同じ考えの人が多いらしく、思った以上に境内は大勢の参拝者がいた。本来、この「茅の輪くぐり」は三回くぐるのが習わしなのだが、今年は感染対策の「密」を避ける為、一定の距離をとっての行列が出来ており、三回くぐるのは難しいと判断して一回で遠慮した。

美容室へカットとパーマの予約もした。美容室は2月に行ったきりで髪が伸び放題で、鬱陶しさも限界だった。ここも感染防止対策で、同時間の施術人数を2名までと制限しているとのことで、最初の希望日は予約がとれず、10日後の予約がようやくとれた。行動制限が解除されて人々が一斉に動き出しているのだから、こうなるのは当然といえば当然だが、今後は何でも「先手」「先手」を心がけようと決める。そういえば、私の好きな言葉の一つに、「先んずれば人を制す」というのがあった。今後の座右の銘にしよう。

ネットで今週の星占い(6月29日〜7月5日)を見たら、「自分の情熱を何に注ぎたいか、はっきりさせよう。」という言葉があって、強く心に響いた。

これまで私は、興味をもったさまざまな事柄に手をつけてきたが、「これ!」という一つに絞り込めていないと感じる。なにより、収入(生活していけるだけの。)を得られているものは何もない。これまでに、一応は目的を達成した事柄をあげてみる。

普通自動車免許取得 現在も車の運転は続けていて役立っているので、「収入」には結びついていないが、これは「身になっている」事柄としよう。


ワープロ検定3級   仕事の傍ら専門学校に通って取得。これは現在大いに役立っている。

「収入を得られているものは何もない。」と記述したが、よく考えてみれば、これだけは収入に結びついていた。前年から続けている、パソコンでの副業だ。金額は微々たるものだが。

 

歯科助手      仕事の傍ら専門学校に通い、資格試験に合格。その後、とある歯科医院に採用されたものの、院長が今でいうパワハラ体質で、精神的にダメージを受けたあげくクビになった。以来、私の中でこの資格と職種は封印した。(これは今思い返しても不愉快極まりない過去。)

書道師範位     通信教育で取得。しかし、約五年前に書道をやめたので、これといって役立っていない。 

かぎ針編み講師   子供の頃から編み物が好きで、それを活かせないかと通信教育で取得。現在、その手芸協会の会員だが、これといった活動はしていない。(毎年会費がかかるので今後どうしようか考え中。)


日商簿記検定3級   これは、私のこれまでの人生で、最も合格が嬉しかった資格。だが、今のところ、これといってこの資格を活かせていない。  

 

自分で着物を着る   資格取得ではないが、着物教室に半年通い、まったく着られない状態から、一人で着て外出できるまでになった。

 

今のところ思いついたのは、これだけ。
けっこうあるじゃないかと思うが、しょせん自己満足か?
簿記に関しては、さらに上の2級を目指しているので道半ばだ。

紆余曲折を経て、希望していた職業に就いているという人がインタビューで、「人生において無駄なことは一つもない。」と語っていたのが印象に残っている。 今思い出した。50代後半にして女優デビューを果たし、昨年に異例の大ヒットをした映画「カメラを止めるな!」で脚光を浴びて現在も活躍中の女優、「どんぐり」さんだ。  
私も、「これまでやってきた事は、すべて今の仕事には必要だった。」と語れるようになりたい。

きょうの禅語

過(とが)を作(な)す者は暗く 福を為(な)す者は明るい

過ちをおかしている人の顔は暗く、福を行う人の顔は明るい。 
福を行う人〜後ろめたい事がなく、毎日を誠実に生きている人〜と私は解釈した。いろいろな経験をし、苦難を切り抜けてきた人の顔は明るく光輝いている。         

「やることリスト」と「音楽」

きょうは休日。
出勤日より30分遅い起床時間だった。それでも午前5時だから早起きの方だろう。

天気予報によるときょうは一日を通して雨天らしいので、外出せず自宅で過ごすことにした。
習慣のヨガを済ませた後、「やることリスト」のメモ帳に、きょうやる(やりたい)ことのリストを書いた。1ページにつき月日とチェック欄と共に「やること」が8つ書けるようになっている。8つすべての欄が埋まった。
リストの中に、「ブログ更新」がある。今作成しているので、これは達成予定。
スープカレーを作る」というのがある。きょうは金曜日。我が家は金曜日の夕食はカレーと決めているのだが、スープカレーを作るのは初めてだ。スープカレーは北海道の名物だが、私にとってスープカレーは外食のイメージが強く、家庭で作って食べるものではなかった。が、つい先日、私の勤務先のスーパーで、札幌の有名店のスープカレーの味が再現できるというスープカレーの素」を発見して、買ってみた。スープカレーの素は他にもあるが、比較的簡単に作れそうなレシピだったのだ。材料も、お店で提供しているスープカレーよりも少なく、入手しやすい所も良かった。
「トイレ掃除」もある。これは先程完了。現在のところ、チェック済みのものは3つなので、残り5つ。「やることリスト」に書くと、チェックする時に達成感と充実感が得られてなかなかいい。

それと、私には、やる気が起きない時にかけると効果大なCDがある。
「とっておきのモーツァルト〜集中力を高めるモーツァルトというタイトルのCDだ。
CDの内容説明文に、「家事も仕事もスイスイはかどります。」とあり、テンポの良い音楽ばかりで自然と体が軽やかに動き出しそうな曲調だ。実際、このCDをかけると作業がスイスイ進む。
1曲目の「ヴァイオリン協奏曲第4番K.218より 第1楽章アレグロが流れてきたとたんに、「よし、やるぞ!」という気になってくる。
この「やることリスト」を書くことと、モーツァルトのCDを活用して、休日を充実させたい。
(いや、休日以外の日も・・・。)

 

 

 

 

節目

早いもので、6月も後半だ。6月に入ってから自粛要請が緩やかになり、新型コロナ感染拡大前の日常が、徐々にではあるが戻ってきている。先週末からは、移動制限も解除されて、人の往来も激しくなってきた。きょう21日は、夏至。そして新月でもある。その上、日食も見られるそうだ。これだけ重なるのは珍しい。なにか、「節目」という気がする。

ブログを更新しなければと思いつつ、しないままでいたが、きょう、ようやく更新する気になった。
新月夏至という日の効果だろうか。数えてみたら40日以上も更新していなかったが、幸いにというか、健康を害して更新が出来なかったというのではない。きょうに至るまで、体調を崩すことなく、新型コロナにも感染せず、仕事・家事・趣味を続けられている。有り難いという他ない。

いつどうなるかわからないという不安はあるが、なるべく前向きに活動的に暮らしていきたい。

きょうの禅語。
誰家無明月清風(たがいえにかめいげつせいふうなからん)

誰の家にも平等に明るい月の光と清々しい風がとどく。それに気がつかないのは、心を閉ざしているから。自分から心の窓を開けて、月の光も、風も感じよう。 と私は解釈した。
感染予防の為にこまめに部屋の換気をといわれていることだし、せいぜい窓を開けて爽やかな空気を吸ってみるとするか。

仕事の「縁」

新型コロナ感染拡大を契機に、医療従事者をはじめ、物流関係、生活必需品販売店、ごみ収集その他、休業要請対象外の仕事に従事する人々への感謝のメッセージを見聞きするようになった。
先日、こんなメッセージを目にして胸が熱くなった。

「スーパーの店員さん、あなた達が感染の恐怖と闘いながら働いてくれるお陰で、私達は生きる為に必要な食品や商品を買うことが出来ます。ありがとうございます。」

一字一句同じではないが、このような内容のメッセージだった。私もスーパーの店員として素直に嬉しかった。私自身は、その日その日の作業を完了させることで頭がいっぱいで、あまり感染の恐怖は感じていなかった(品出しという作業の内容上、レジ係程は多数の来客と接しないせいもあろうが。)ので、自分は現在の世の中の状況では「例外」の仕事に従事しているのだと改めて思った。

もし私が、休業要請対象の職種だったら、今私は、自宅待機か在宅勤務か、あるいは解雇されて無職かもしれない。たまたまスーパーの仕事に就いたことで、新型コロナの影響なく働き続けている。しかし、思い返せば不思議なものだ。自分が接客を伴う仕事に就くなんて、かつては思ってもみなかった。なにしろ、私は接客が苦手だったのだから・・・。
それでも、今私はスーパーで働いていて、接客も苦にしていない。縁があったのだろう。
人との縁も意外なものがあるが、仕事との縁も同様だと感じる。

きょうの禅語
無事是貴人(ぶじこれきにん)禅でいう「無事」とは仏道や救いを外に求めない心。

外にあれこれ求めず、自分が成すべきことをひとつひとつ誠実にこなしていくことが、人の道。
そう心がけることで、この禅語でいう貴人(安心と悟りを得た人)に少しでも近づけるよう、日々を過ごしていきたい。

高倉健さん

ブログを更新しないまま、5月も半ばを過ぎてしまった。
前回のブログが4月24日だったから、22日も更新していなかったことになる。だが、その間体調に異変が起こることもなく、今日まで無事に過ごせているので有り難いことだ。
スーパーでの品出しの本業と、パソコンでの副業と、読書に明け暮れる日々を送っていた。一時は手芸に熱中していたが、現在は、未読のまま放置してあった本を読みきるのを目標にしている。老眼なのもあって、あまり速くは読めないが、それでも何冊か読み終えるにつれて読む速度が上がってきた。
読みかけのままだった雑誌も読んだ。最近は、五年前の雑誌、2015年1月号の文藝春秋を読み終えた。俳優の高倉健さんが亡くなって間もない頃に発売されたもので、「病床で綴った最期の手記」というタイトルの文章が載っている。
その中に、印象的な言葉があった。

「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」

これは、高倉健さんの死後、何かの記事で、座右の銘としていたと紹介されていたの読んだ覚えがあった。その時も、いい言葉だなと思った。健さんと親交があった僧侶の言葉とのことだった。
その僧侶とは、比叡山飯室谷不動堂長寿院住職の酒井雄哉さん。健さんの手記の中に、酒井さんが健さんとの出会いについて書いた著書があると書かれていて、どうしても読みたくなり、つい最近、その本をネットで購入した。「あなたには幸せになる力がある」(PHP文庫)だ。

「物事が停滞しているときには」「心身の健康を保ちたいときには」などのテーマについて、温かい人柄を感じさせる文体で書かれている。高倉健さんとの出会いについては、もともと健さんのファンだった酒井さんのお寺に、健さんが、ある日突然訪ねてきたという。
この本も、昨日読み終わったところだ。

4日前の12日(火)に、BSで高倉健さん主演の映画、「新幹線大爆破」が放送された。いいタイミングだ。喜んで録画して、途中まで観た。つくづく、いい俳優だなぁと感じている。
古い雑誌を読み返したのがきっかけで、思いがけず高倉健さんが現在私の中でブームになっている。読書によって、新たな興味が広がっている。

 

 

 

手仕事(「不要品再生マスク」作りなど。)の日々

5日ぶりのブログ。
きょうまで、職場のQストアと自宅の往復の繰り返しという日々を送っていた。
前々回のブログで「ベーグル作りをする」と書いたが、宣言通り実行した。すると、楽しくて、きょうまでに3回ベーグルを作った。意外と手間がかからず作れるのでハマってしまった。
今後、私の朝食のパンが手作りベーグルという日が増えそうだ。

布マスク作りもした。
布マスクのウイルス感染防止効果については私自身、期待薄ではあったが、手持ちの不織布マスクがいよいよ底をついてきたので、作らざるを得なくなった。もともと手芸は好きなので布マスク作りそれ自体には興味があったのだ。とはいえ、手作りマスクブームで材料は品薄なので、不要のガーゼハンカチで作ることにした。
貰いもので、柄がいまひとつ好みではなかったガーゼハンカチがあったので、生地の裏が表面にくるように作ることを考えた。二重ガーゼではあるものの、わずかに表地の柄が透けて見えるのだが、色は薄いのでそれほど気にならない。NHKの『すてきにハンドメイド』の数年前のテキストで、たまたま布マスクの作り方と型紙がついている号を保存してあった。これが役に立つとは思ってもみなかった。いつ何が役にたつか、本当にわからないものだ。

マスク用のゴム紐も品薄で入手困難なので、荒技(?)を使った。何度も洗って使い倒した不織布マスクのゴム紐を利用するのだ。マスク部分はヨレヨレだがゴム紐は意外と劣化していない。
ゴム紐は不織布に固定されているので、不織布ごと縦に切り取り、それを布マスクの横部分に巻き込んでミシンで押さえる。ついでに、不織布マスクのノーズフイットも利用した。これも不織布ごと切り取って布マスクの上部に挟みこんだ。中表に縫って返す作り方の立体マスクだから、ノーズフイットは中に隠れて表面からは見えない。我ながらいいアイデアだと思った。ゴム紐もノーズフイットも、使いものにならなくなったら縫い目をほどいて交換すればよい。こういうことが出来るのが手作りのいい所だ。この、名付けて「不要品再生マスク」を、3枚作った。大判のガーゼハンカチだったので、なるべく隙間を空けないように型紙を置いて、3枚作ることができた。
さらに、残った端切れを使って、穴のあいたお気に入りの靴下を修繕した。

ベーグル作り・マスク作り・靴下の修繕と、手仕事に勤しむ日々を送っている。
職場と自宅の往復だけだが、自宅で充実感に満ちた毎日を送れている。
とはいえ、心の底では、「街に出て買い物や映画鑑賞が以前と同じく出来るようになるのは、いつのことだろうか?」という気持ちが常にあるが・・・。

 

きょうの禅語。
他は是れ吾にあらず(たはこれわれにあらず)

他の人ではない。自分が「やる」と決めたら「自分で」最後までやりきる。

いま自分にできる限りのことを自分でやる。

 

 

「外出自粛」で、発想を転換してみた

きょうは休日。
昨日はつい深夜0:00までYouTubeを観てしまったので、起床したのはAM6:00だった。普段は休日でもAM5:30起床なので私にとっては寝坊だ。ちょっと後悔しつつ起床する朝となった。
今朝の新聞を開くと、札幌市内のおもな商業施設とホテルの営業案内の紙面に「臨時休業」の文字ばかりが並んでいて、只ならぬ事態に突入した事を改めて実感した。
経済面を開くと、道内の主要スーパー2020年2、3月期決算の記事に目がとまった。
私の勤務先のQストアの大元である会社が道内主要スーパーの中で売上高・営業利益が上位だった。勤務先ということでやはりなんとなく誇らしい気持ちになる。

私が時々利用している、Qストアよりも遥かに大規模で広告媒体も派手な会社が下位だったので意外だった。広告費や人件費の関係だろうか。ここのチラシはいつもオールカラーだが、Qストアのチラシは滅多にオールカラーじゃないからなぁ・・・。と私なり(短絡思考)にぼんやり分析してみた。当期純利益次期売上高という文字に、簿記を楽しんで勉強した(今も勉強中だが。)経験をもつ身としては、ワクワクする。2級を取得する為の勉強を重ねてもっと複雑な簿記用語を理解できるようになりたいという思いを新たにした。

5月6日まで外出自粛期間ということで、とかく暗くなりがちな気分を払拭する為に、発想を転換してみることにした。きょうを含めて19日間ある。この間に「本を何冊読み終えられるか。」「簿記2級のテキスト・問題集をどれだけ終えることができるか。」チャレンジするのだ。ただし、あまり気張らずに。
自宅にいる時間が多くなったことは、「自分をレベルアップさせるチャンス」と捉えるのだ。19日間は結構長い。チャレンジを継続し続けられたら、いくらなんでも少しは何がしかの進化が生じているだろう。それを楽しみにして、やってみよう。

きょうの禅語。

歩歩是道場(ほほこれどうじょう)

修行は道場だけでするものではなく、学ぶ心さえあればどこでも出来る。
家にいる時間を充実させるように心がければ、外出自粛になる前には想像もしなかった自分(向上した自分)になっていることに気付くかもしれないのだ。

 

 

 

 

この機会に

 「とうとうきたか。」という感じだ。

札幌駅直結のショッピングモールが明日から当分の間ほぼすべて休業(食品売り場は一部営業継続らしい)と決定した。前回、北海道独自の緊急事態宣言が出た時は殆どの商業施設がほぼ営業継続していたので中心街の人出は殆ど変化がなかったという印象だ。が、ほぼすべてが休業となると街に出る意味がなくなるので、さすがに街中の人は減るだろう。

私は明日、シフト上、休日と決まっているので一日自宅で過ごすつもりだ。翌日は仕事だ。今のところ私が勤務するQストアは休業する気配は全くない。(そもそもスーパーは休業要請の対象になっていないからだが・・・。)それでも、今朝出勤したら、売り場のレジの前に、昨日までは無かったビニールシート(飛沫を遮断する為の)が設置されていて、やはり新型コロナの脅威を感じざるを得ない。

自宅で過ごす時間が長くなり、何をするかについて多くの提案を見聞きすることが増えた。
その中で、「資格の勉強をする。」というのがあった。それを実行する人が多ければ今年は人気資格は受験者が殺到するかもしれない?
私はというと、簿記2級の勉強は勿論だが、前々からやってみたかった「ベーグル作り」に挑戦してみようと思っている。明日の休日にでも。

私はパンの中でベーグルが好きなのだが、ベーグルは値段が高いのであまり買ったことがない。自分で作れば、沢山作って冷凍しておいて好きな時に食べることができる。(うまく完成させられればだが。)ずいぶん前に材料だけは買ってあるのだ。
・・・と、ベーグル作りについて考えている中で、ふと思い出した。作りたくなって買ったものの、何も作っていない、ケーキとマフインの「レシピ本」があったのを・・・。マフィンを作って冷凍し、ちょっとおしゃれな朝食メニューにしたいという願望がかつてあったのだ。

外出自粛で自宅で過ごす時間が多くなったことで、未読の本、何も作っていないままの料理本の多さが目につくようになった。どの本も、買った時は、「読むぞ!」「作るぞ!」と意欲満々だった筈だったのだが・・・。
外出自粛要請が出ているこの機会に、読まずに放置してあった本を全部読み、ベーグルとマフインも作ろう。


きょうの禅語。

冷暖自知(れいだんじち)

水が暖かいか冷たいか、人に説明されるよりも自分で触ってみる方がわかる。
「読まなきゃ。」「作らなきゃ。」と思っているだけでは、本の内容は何も自分に入ってこない。
本を手に取って頁を開き、読まなければ!レシピ本を開き、未開封の小麦粉の袋を開け、ベーグル・マフィン作りに取りかからねば!

「3ない」で結構

私は以前は夜にコンサートに行ったり映画の試写会に行ったり、友人と食事に行ったりしていたが、早朝からの仕事をするようになってから、夜に外出するのがすっかり億劫になってしまった。
最後に夜出掛けたのは、クラシックコンサートに行った時で、もう三年も前だ。翌日に仕事がある日は遅くとも夜10:30には就寝しないと起きられない(起床は午前4:30)という事情もある。

もともと私は酒は飲まないし、カラオケは苦手だし、踊るのも苦手で、「飲めない」「歌えない」「踊れない」「3ない」だ。そんなんで人生楽しいのか? と思われるかもしれないが、それで私は何も苦にしていないし、私なりに他に楽しめることはいくらでもある。

味気ない人生だと思われそうな私の「3ない」だが、今の新型コロナの感染拡大の原因のひとつといわれている「夜の街での娯楽」とは縁がないことになり、感染のリスクからは遠ざかる結果になっている。(感染するのは夜の街とは限らないが。)
コンサートにしても、私は、アーティストに歓声をあげたり大声で一緒に歌ったりするコンサートではなくて専らクラシック演奏会だから、演奏中の観客は全員無言だ。従って、周囲の人々の飛沫を浴びる危険性がない。
今の新型コロナ感染拡大防止の為の「夜の外出自粛」で、酒飲みの人は、「居酒屋に行けない!」カラオケ好きの人は、「カラオケで思い切り歌えない!」踊りが好きな人は、「クラブで夜通し踊りたい!」と欲求不満でストレスが溜まっているだろう。だが、私は「3ない」なのでそれらの不満は一切ない。
平時なら、私のような「3ない」は、およそ、つまらない人間とバカにされるのだろう。

が、今は「3ない」で大いに結構。という心境だ。

忘れていた。私は煙草も吸わない(吸ったことがない。)ので、「4ない」だった。でも語呂がよいので「3ない」にしておこう。

きょうの禅語
自灯明 法灯明(じとうみょう ほうとうみょう)

自分の信じるものを灯りとして進む。 心細い時は仏の教えを灯りをとして進む。

と私は解釈した。