閑古錐〜生涯挑戦主義(毎週木曜更新…の予定。)

禅を愛好する、某スーパー勤務おばちゃんの日々

一大事

新型コロナウイルス感染拡大に関して7都府県が緊急事態宣言対象地域になった。北海道は今回は対象地域外だったが、感染者はこのところ再び増加しているので安心は出来ない。

全国的に緊張感が漂う中で、自分には今のところ体調に変わりはないことをつくづく有難く感じる。毎朝起床する度に、熱がある感じがしないか、喉の痛みはないか、味覚・嗅覚に異変はないかと確認しては、異常がないことに安堵する毎日だ。一体いつこの不安から開放されるのだろうかと暗い気持ちになる。
それでも、私はまだ仕事があるので、出勤して忙しく立ち働くことで気を紛らわせているが、さまざまな事情で自宅に篭もることを余儀なくされている人々は本当に辛い毎日だろう。

イベント等が続々と休止・延期になっている中、司法試験が延期になるという新聞記事を見た。それを見てふと思ったのだが、6月の日商簿記検定試験は予定通り行われるのだろうか?
11月の試験は?
私は、6月の試験は準備不足なので受験しないが、11月の試験を、出来れば受験したいと思っている。けれど、新型コロナ感染がいつ終息するか全く見通しがたたない現在の状況では、試験が中止・延期になっても不思議ではない。
昨年の今頃は、いつ桜を見に行こうかと考えていた。
想像もしていなかったウイルスの感染拡大。まったく一大事だ。

「一大事」は、ただならぬ事、重大な事態・事件という意味で使われる言葉だが、仏教用語でもある。

きょうの禅語。
一大事(いちだいじ)
「生(しょう)を明(あき)らめ死を明らむは仏家一大事の因縁なり」(道元禅師)

「一大事」とは、仏法における最も大切なことを指す、という意味だという。私は凡人そのもので何の修行もしていないが、
生とは? 死とは? いつか死を迎える時までに私はどう生きるべきか?
このことを自分に問いかけながら生きなければと思うきょうこの頃だ。

 

賞味・消費期限との闘い(?)

一日休日が明けての出勤。休みの翌日は体力が戻っている為か、作業をしていて体が軽いような気がする。
品出しの前にまず、見切り品をまとめて陳列しているコーナーに行き、賞味・消費期限切れの品がないか確認する。期限切れの品は破棄するので、取り除いてまとめておく。
賞味期限にしろ消費期限にしろ、たった一日過ぎているだけなら食べても何も問題ないのではないかと個人的には思うが、これは厳格に守らなければならないのだ。
老眼で数字の見分けがつかなくなっている(たとえば3と8)ので、メガネをしっかりかけて日付に目を凝らす。きょうが何日かを事前にしっかり頭に叩き込んでおくのは必須だ。

この賞味・消費期限についてだが、とにかく少しでも新しい日付の品を選んで買おうとするお客様が多く、複数の日付の品が並んでいたら、まず新しい日付の品から先に売れていく。新しい日付の品が陳列棚から無くなってからやっとその前の日付の品がなくなっていくという具合だ。

ところで、私は豆腐の品出しをしているのだが、豆腐を積む時、まず、その日に入荷した日付のものから積んでいき、一番上が古い日付の豆腐になる。
最新の日付のものを求めているお客様の中には、積んである豆腐パックの山を掘り出すようにして一番下のものを持っていく人がいる。それはまあいいのだが、掘り出して、上に積んであった豆腐パックが乱雑になったままにしていく人がいる。
元の状態に整えてとまでは言わないが、『せめて乱雑にしたのをまとめる位はして欲しい・・・。』と思うのは店員の立場としては傲慢だろうか。
こちらとしては、出来れば古い日付のものから持っていって欲しいのだが、どうしても新しい日付のものから先に無くなる。なら新しい日付の品と混在させなければいいじゃないかと思われるかもしれないが、そうすると、前日に残った品だけを並べることになるので、どうしても数が少なくて見栄えが悪いという事情があるのだ。

新しい日付が見えないように並べる等、密かに姑息な手段を駆使して抵抗(?)を試みているのだが、『そんなにまでしなくても・・・。』と呆れるほど上の品をかき分け、掘り出して、最新の日付の品を持っていかれてしまうのだった。それを目にした時、私は、あ〜あ・・・。と敗北感のようなものを覚える。


そんな経験を重ねたからか、私は、食品を買う時、最新の日付の品は、なるべく手に取らないようにするようになった。
蛇足だが、私は、買い物をしていて棚から品物を手にとった時、その品の後ろの品を手前に出して整えてしまうという癖もある。(これを「前出し」という。)

これも職業病というものなのか?

 

 

 

 

持久力で勝負

ブログを開いてみたら、4日間更新していなかった。
前回のブログは今月(もはや先月だが。)のPVが100を突破したことを話題にしているが、そのあと更新を4日間もサボってしまったと今更ながら後悔。同時に、日にちの経つのが早いことを痛感する。ありきたりな格言なのであまり使いたくないのだが、まさに光陰矢の如しだ。
否、私の年齢になると、矢どころかジェット機の速度という気がする。それはさておき、この間(かん)、体調不良もなく今に至るまで過ごせているので有り難いことだ。

札幌は、新型コロナ感染拡大の影響で休業していた施設が、4月に入ってから少しづつ段階的に再開し始めた。図書館もその一つで、図書館内での閲覧は出来ないままだがネットでの予約本のみ、貸し出しが再開された。
私も、予約してあった本を一冊、ようやく借りることができた。

岸本葉子さんの『人生後半、はじめまして』という本。予約数が多くて半年以上も待った末に借りられることになった本だった。きっと、私のように人生後半を意識し始めた年代の女性達の予約が多いんだろうなと想像した。
その本が、受け取りに行く前に図書館が長期休業に突入してしまったので、再度待たされることになっていたのだった。タイトルから推察できる通り、人生後半(50代)を迎えた著者が、加齢で衰えた自身の体についての心境や、身辺の変化について気づく日々についてのエッセイ集だ。(著者は私よりほんの少し年長。)

読んでみると、私のような年代ならではの「あるある!」ネタ満載で、一気に半分以上読み進めてしまった。特に体の衰えについて、老化は避けられないものにしても、その上でいかにして自分にとって快適な精神状態を維持していくかについて考えさせられた。

私が今心がけているのは、「歳をとったら持久力で勝負。」ということだ。
加齢に伴って、若い頃のような体力というのは無くなるが、その分、無理をしないで体力を温存し、物事を長く続ければよい。仕事については、先々まで考え、決して無理をしない。数日無理して働いて体を壊し、結局はその無理して働いた日数よりも多くの期間を療養に当てなければならなくなった、ということになりかねない。その方が周囲に何倍もの迷惑をかける。なので、「ここまでは出来るが、これ以上は無理。」とはっきり断った方が、結果的には職場に対して誠実な対応なのだ。と私は思っている。
まぁこれも、今の年齢になったが故に「開き直れる図太さ」が備わった、ともいえるのだが・・・。

 

「今月のPVが100を突破」??

このブログは「はてなブログ」で作成しているのだが、そのサービスの一環の「あなたへのお知らせ」で、つい先日、「閑古錐〜私流禅的生活の今月のPVが100を突破しました。」という通知があることに気づいた。
PV? なにそれ??

ブログに関しては超初心者のおばちゃんブロガーである私は、早速「PVとは」で検索してみた。いろいろなサイトが出てきたが、「どんな超初心者でも理解できる」と謳っているサイトでもいまひとつ理解できず、あちこち見ている内にようやく、薄ボンヤリとではあるが意味がわかった。

PVとは、「ページビュー」の略語で、ブログ内の特定のページが開かれた回数の事、らしい。
私はこれまで「アクセス解析」は見ていたのだが、この「アクセス数」とPVとでは、同じ1回でもその内容に違いがあるらしい。
私なりに理解したこととして、アクセス数は、あるブログに「たまたま立ち寄っただけ」で、中身を見ないでさっさと他のブログに移行してしまったとしても1回としてカウントされる(らしい。)
のに対して、PVは、ブログの特定のページが開かれるごとに1PVとしてカウントされる(らしい。)
私が注目したのは、「月100PVで喜ぶのは甘い。一日100PVでようやくブログ初心者から脱出。」という文言が多く見られたことだ。
どうやらこれは、ブログで広告収入を得ようとしている人に向けての説らしいと私は解釈したのだが、私の場合、アフェリエイトというのは興味がないので、むやみに閲覧数を上げる為に四苦八苦したくない。
けれど、PV100ということは、何人かはともかく、私のブログを読んでくださっている人がいる
という意味らしいので、嬉しい事は確かだ。

私がブログを作成するにあたって、常に心がけていることがある。それは、「読者がたった一人だとしても、その一人に向けて真摯にブログを作成する。」ということだ。

ある俳優(芸人だったかもしれない。)の言葉で、「舞台にたった一人しか観客がいなくても、決して手を抜かずにその一人の観客に向かって演技(芸)を見せる。」というのがあった。
この気持ちでブログを続けていこうと思っている。

きょうの禅語。
水到れば渠成る(みずいたればきょなる)

「渠」とは、溝・掘割のこと。水が流れていけば自然と溝ができるという意味。
少量の水の流れでも、長年に渡って流れ続ければ硬い石にも溝を作ることができる。
急がず、方向を見失うことなく、粛々と自分の信じる道を進んでいけば、何がしかの結果を残すことができる。私利私欲に走らず、自分なりのブログをゆるゆると続けていこう。

 

 

 

 

 

 

解禁、のち禁止

昨日で3月が終わった。そして、私の「月末まで食材購入禁止」も終わった。
昨日の夕食は、レトルトのハンバーグに、前日のスパゲティの残り(ツナ・冷凍ほうれんそう・ちくわ入り)に、冷凍してあったウインナーを適当に切ったのを加えて炒めたものを付け合わせにした。これだけだと見た目が寂しいので、冷凍ブロッコリーをレンジで解凍したのも添えた。
みそ汁の具は、油揚げとねぎ(ねぎは冷凍してあったもの)にした。
結果、冷凍庫の中はミックスベジタブル少々と小分けにした肉類が残るのみ。野菜室の野菜は、大根1本が残っているだけとなった。なんとか乗り切れた。それどころか、この大根と、冷凍してある豚バラ肉を使って「豚バラ大根」が作れる余裕がある。よくやった、私!

という訳で、きょうは食材の買い物解禁日だ。朝から私は、『よし!きょうは仕事が終わったらすぐに買い物だ!(勿論、勤務先のQストアで。)』と気合を入れていた。毎月1日は、私が利用しているカード会社の「5%割引」の特典がある日なので、余計気持ちが高揚した。
仕事を終えて従業員出入り口を出、その足でQストア正面入口へ。

毎年4月1日は、エイプリルフール(4月バカ)にちなんで、馬鹿みたいに安いという意味合いの大安売り日なので、店内は朝早くから大勢の来店客で賑わっていた。この活気に乗せられて余計な物を買わないようにと気をひきしめた。が、「解禁日(4月1日)になったら買おう」と目をつけていた品、「水牛モッツァレラチーズ(水牛の乳を使っている)のピザ」を買ったり、半額になっているパンを発見したりで、結局、39点もの品を買った。合計6,273円。(5%割引になるので5,960円)
月食料に使える金額は、残り19,040円だ。
とりあえず、月の半分、15日まで食材の買い物禁止とした。家計簿の4月1日の欄の余白に、
「15日まで食費は無し!!」と赤のボールペンで書き込んだ。

さて、きょうの夕食は、429円(税込み)の寿司パック(1パック10貫入り)と、茶碗蒸し(出来合いのもの)と、インスタントのお吸い物だ。きょうは、夕食作りはお休み。明日からまた、食品買い物禁止の闘いが始まる。

きょうの禅語。
百尺竿頭に一歩を進む(ひゃくしゃくかんとうにいっぽをすすむ)
「百尺竿頭」とは、長い長い竿の先のこと。長い長い竿の先まで進んでも、さらに歩みを進めよ、努力を怠るな、という意味と私は解釈した。
先月は、食費2,5000円以内を守れたが、これで満足せずに、さらに食費節約に努めよう。

 

 

 

あと2日だ!

食料の買い物禁止の期限が、きょうを含めてあと2日となった。
「もう3月も終わりか・・・。」と、月日の流れの速さを思うが、その反面、食料の買い物禁止令を自らに命じてからの日々は、長かった。(まだ2日残っているが。)
28日の土曜日の夕食は、先日のブログに書いた通り、芽が出ているじゃがいもを使い切る為、肉じゃがにした。肉は、冷凍牛肉が100gと少々残っていたのと、買ったまま冷蔵庫に入れたままだったパック入り豚バラ肉を少し足した。ついでに、豚バラ肉を100gづつ計量してラップに包んで冷凍庫へ。(やろうと思いながらも延び延びになっていた作業だった。)

ところで肉じゃがについて、いいアイデアを発見した。
以前、台湾料理のルーロー飯を作る為に買ったフライドオニオンが使い切れずに残っていたのを思い出して、肉じゃがを作る時に、生の玉ねぎに少し混ぜて炒めてみた。(玉ねぎが少ししかなかったので。)結果、味にコクが出て美味しくなった。
このフライドオニオンは、本格的なスパイスを取り揃えている専門店までわざわざ出向いて買ったものなのだが、その後、100均ショップにあるのを見つけて、こうと知っていたら、高いお金出して買わなかったのにとガックリきた。なにせフライドオニオンなんてそれまで使ったことがなかったので、専門店に行った方が入手しやすいと思い込んだのだ。

昨日の夕食は、餃子スープにした。水に鶏ガラスープの素・醤油少々を入れた中に水餃子を入れる。その他の具は、わかめ・冷凍ミックスベジタブル・小分け春雨・ねぎだ。これはおかずの代わりになる。
そしてきょうの献立の予定。

ツナの缶詰と冷凍ほうれんそう・ねぎを使ったスパゲティにしようと思っている。

先週、乾燥スパゲティがあるのを見つけて夕食の献立にしてみたところ、ご飯以外の主食も悪くないと感じた。我が家は毎週金曜日はカレーと決めているが、「パスタの日」も追加してもいいかなと考えている。

きょうの禅語。

歳月不待人(さいげつひとをまたず。)
この禅語、以前にもブログで使った気がするのだが、ま、いいか。

時は人を待ってはくれない。
買い物禁止を決めてからの日々は長く感じたが、それでも、やはり3月もあっという間に過ぎようとしている。過ぎた日々は二度と戻ってこない。一日を無駄に過ごさず大切に生きなければ。(と思いつつなかなか出来ないのだが。)

それでも、一日にした事の積み重ねが将来に続くのだ。

 

 

6日目

今月末まで食料の買い物はしないと決めて、きょうで6日目。

5日目だった昨日の夕食は、冷凍庫にあった「冷凍ヒレカツ」に、ミニトマトブロッコリーを添えたものだった。それに、わかめと切り干し大根のみそ汁。切り干し大根は、水で戻すことはしないで鍋にそのまま入れてしばらく放置するのが私のやり方だ。切り干し大根は、そのまま鍋に入れて煮る方が、旨味が充分に出て美味しいのだ。切り干し大根というのは、切る手間がなく、そのまま使えて保存も効くと、いい事づくめだ。ズボラな私が常備しているお助け食材だ。


切り干し大根については、実はNHKの番組「ガッテン!」のテキストに載っていた特集記事から知った。タイトルは、「京都「おばんざい」に教わるケチでズボラな調理術」。スクラップしてファイルに保存している。京都の「おばんざい」(京都の普段のお惣菜のこと。)には、材料を無駄なく、美味しく、しかもできるだけ手間を省いて作れる知恵が多くあるのだった。

 

きょうは、金曜日なのでカレーの日

キャベツがほんの少し残っていたので、それを線切りにしたものと、えのきだけ1パック・冷凍いんげん・ウインナー・魚肉ソーセージ(ウインナーが少なかったので。)のカレー。それに半熟卵を添えた。これで見た目が豪華になる。

このカレーのレシピでは、本当はもやしを使うのだが、もやしがなかったので代用としてえのきだけを使った。えのきだけは味にくせがないので、だいたい何にでも使えて重宝だ、

さて、今月もあと4日。芽が出てきているじゃがいもがあるので、明日はこれを使った献立にしようと思っている。豚バラ肉もあるし・・・。
と考えてみると、ずいぶん冷凍冷蔵庫に食料を溜め込んでいたのだと今更ながら気づいた。
今、東京では週末の外出自粛要請の影響での買い溜めが問題になっているが、私は買い溜めというのはしないものの、今後は、「食費は月2,5000円以内を厳守」を肝に銘じようと思う。

 

料理と私

ひと月の食費を2,5000円内に抑える為、10日間、食料の買い物禁止!と決めてきょうで四日目。決意通り、きょうまで一切食料は買っていない。

昨日の夕食は、冷蔵庫にあった野菜と、冷凍してあったもやしと椎茸少々を使って野菜炒めを作った。かさ増しの為、乾燥春雨(これも使い残し)も急遽加えた。
その春雨について、「沸騰させたお湯でゆでて戻す」と包装袋に書いてあったのだが、鍋を出してお湯を沸かすのが面倒臭くなり、レンジでも出来るんじゃないかと考えた。そこでふと思い出した。シンク下の引き出しの中に、数年間放置していた「レンジでそうめん」というプラスチック製の調理用具があったのを。そうめんも春雨も似たようなもの(乱暴な理屈だが。)だから、利用しちゃえ、と思った。

乾燥春雨を「レンジでそうめん」に入れて水を少量。とりあえず3分チンしてみた。3分後、ちょっとまだ硬さが残っている気がしたので、1分追加でチン。すると、鍋でゆでたのと変わらない位にうまくいった。これは新たな発見だった。これまで鍋でお湯を沸かすのが面倒で乾燥春雨を使わずに長いこと引き出しの中にあったのだが、これからは気軽に春雨を使えそうだ。(いや、それ以前に、本来の「そうめん」にも使わなければ・・・。)野菜炒めの味付けは、オイスターソースをベースとした中華風にした。

改めて思ったのだが、こういう、残りもの処理料理が完成した時は本当に達成感がある。しかも、レシピを見てその料理の為に材料を買って作る料理よりも作業が楽しい。これは、料理づくりが好きというよりも、「残りものを使って工夫する」ということが好きなのではないだろうか? と思う。
自分でいうのもなんだが、野菜炒めは、なかなか美味しかった。夫も、何回かおかわりしていて好評だった。が、夫婦二人だけなので、少し残った。

そしてきょう。
きょうの夕食は、残った野菜炒めに玉ねぎとピーマンを少し足して、スパゲティナポリタンを作るつもりでいる。

中華味の野菜炒めだが、少量なので、ナポリタンの味付けのケチャップとウスターソースで違和感は無くせるだろう。(たぶん。)

 

きょうの禅語。
応に住する所無うして其の心を生ずべし(まさにじゅうするところのうしてそのしんをしょうずべし。)

何ものにもとらわれない心ですべてにあたれ。
心をひとつところに執着せず、ことに応じて自由に動かしなさい、といった気味か。
「レンジでそうめん」を、そうめんにこだわらずに春雨に使ってみて成功した昨日の私にあてはまりそうだ。(ショボい成功体験という気もするが・・・。)

 

厳守!二万五千円

この前のブログで、映画をいつ観に行くかを決めかねていると書いたが、その後、21日の土曜日に行ってきた。
仕事が休日だったのと、チケット料金の「ウィークデーモーニング割引」がない日なので、それほど混雑しないと推測してのことだった。読みは当たり、人気作にも関わらず座席は空席が目立つほどすいていた。さらに、前から2列目の座席を選択したので、前後左右、誰も座っていなかった。おかげで、隣の椅子に荷物は置けたしゆったりと鑑賞できた。映画の内容も期待通りで、とても良かった。
映画を観て、その後に書店で文庫本の新刊でよさそうなのがないかと平積みの台を眺めたり、なんだか久々に「休日を楽しんでいる」という気分になった。まだ新たな感染者が出ているとはいうものの、週末の外出自粛要請がわずかに緩やかになったという開放感もあるのだろう。

帰宅して、その日に買った文庫本の金額を私個人の「出入金ノート」に記入し、食品を買った時のレシートの整理もしてしまおうと、家計簿を開いた。
菓子パンやお菓子の出費(全部、自分が食べる為のもの)が増えているのを感じていたので、合計額がいくらなのか不安だった。今週分を計算し、これまでの金額と合計する。緊張の瞬間・・・!(大げさだが。)

今月に入ってからの食費の出費、合計24,675円! ホッ・・・。ひと月の食費、25,000円内に辛うじておさまっていた。しかし、きょう現在、31日までに使える金額は、残り325円だ。あと10日。
大丈夫だ。冷蔵庫・冷凍庫にはこれまで買った食料がちょこちょこ残っている。これらをうまいこと組み合わせれば、なんとかなるだろう。・・・と思う。
という訳で、残金325円は使わない! と決めて乗り切ることにした。

今夜の夕食の献立は、先程作り終わった。
先週の金曜日に作ったカレーの残りが冷蔵庫にあったので、それを使った。(ひき肉・ミックスビーンズ・ミックスベジタブル・玉ねぎのみじん切のカレー)水を少し足して、そこにめんつゆ小さじ1とみりん小さじ1を入れて和風の味つけにした。そこに、市販の五目がんも(丸型5枚入り)を半分に切ったものを入れ、少し煮てなじませる。かたくり粉小さじ1を水小さじ2で溶いたものを入れてとろみをつけて出来上がり。食べる時は、皿にまずがんもをのせてから、上からカレーあんかけをかける。名付けて五目がんものカレーあんかけだ。(なんのことはない。残りもの処理料理だ。)
明日は、野菜が少量づつ冷蔵庫にあるので、それの処理だ。

 

きょうの禅語。
廓然無聖(かくねんむしょう)
廓然は、広々と澄み切った様子。聖も凡もない、カラリとした爽快な世界。と私は解釈した。
映画を観て、好きな書店で過ごして、つかの間新型コロナ感染の恐怖を忘れてリフレッシュできた。・・・という気持ちを持続させて、冷蔵庫の中にあるものだけで10日間を乗り切ろう。

「混雑回避」に悩む

北海道の新型コロナウイルス感染拡大による「緊急事態宣言」が、予定通りきょうの19日で終了することになった。が、まだ感染が終息した訳ではないので、人混みを避ける等、日常的に注意しなければならないことには変わりない。今朝の新聞によると、「感染リスクを避ける行動は、週末のみならず平日も必要」とあるので、「なんだこりゃ。」といった感じだ。

今、観たい映画があるのだが、いつ行こうかと悩んでいる。映画館のポイントカードのポイントが満点になって招待券を手に入れたので、いつでも無料で鑑賞できるのだが、混雑していない日・時間を選ぶのが難しい。なにしろ、休校中で今は小・中・高校生も平日に映画鑑賞が可能なのでなおさらだ。
普段、私は映画のチケットはネットで買い、鑑賞当日に映画館に設置してある発券機からチケットを受け取っている。対面販売の行列に並ばなくて済むのでいつもこの方法だ。が、招待券は、対面販売のカウンターでしかチケットと引き換えることができないのだ。
となると・・・。
木曜日はチケット料金割引のレディースデーで激混み確実なので、木曜日はパス。
土・日曜日は当然パス。
という訳で、月・火・水・金曜日のいずれかにしようと思ったのだが・・・。
ついさっき気づいた。1回目の上映時間は避けた方がいいということを。なぜなら、ウィークデーモーニング割引というのがあり、平日の第1回目の午前の回は料金割引になるのだ。これも混みそうだ。私が今観たいと思っている映画は大ヒット中の映画なので、念入りな作戦(?)が必要なのだ。
・・・てな具合に考えている内に、上映時間が変更されて夜遅い時間帯にしか上映されなくなってしまったりしたら困る。いつ観るか早く決めなければ!

外出を自粛するようになってから自宅で出来る趣味に没頭するようになっているが、それでもやはりたまには好きな映画鑑賞もしたい。

いやしかし、実際に映画館に行く前にこんなことで悩むのも幸せ(能天気?)なひとときといえるのかもしれない。

きょうの禅語。

春在枝頭己十分(はるはしとうにあってすでにじゅうぶん)
春はどこに来ているだろうかと方々探したが見つからない。ふと自分の家の梅の枝を手にとってみると、枝先に花をつけて香っているではないか。探していた春はこんな身近にあったのだ・・・。
といった意味か。

幸せは、案外自分のすぐそばにある。

 

肉まんVSあんまん

新型コロナウイルス感染拡大の影響で自宅で過ごす時間が増え、「巣ごもり消費」が増加しているという新聞記事を読んだ。
食品では、冷凍食品やカップ麺の売上げが増えているという。たしかに、私の仕事先のQストアでも、私が品出しを担当している冷凍食品の売れ行きがいい。
そろそろ商品入れ替えの時期でもあり、新商品が並ぶようになってきて、物珍しさも手伝ってか、更に売れ行きが伸びているのを感じる。私も、品出ししながら新商品を見るのが楽しい。
相変わらず売れ行きがいいのが、肉まん・あんまんだ。これについて、近頃気づいた現象がある。以前は、圧倒的に肉まんが売れていたのだが、最近はあんまんの完売率が高い。

朝、出勤して陳列棚を見ると、肉まんだけが残っているという光景をよく見るようになった。肉まんも人気があるのは確かなのだが、最近は、あんまんの方が人気があるようだ。以前は逆で、あんまんが残っていたのだが・・・。なぜだ? と不思議に思っている。(それにしても、新型コロナの騒ぎが起こってからというもの、商品の売れ行きに関して不思議に思う現象が増えている。)
もしかして、休校で子供が家にいるので、子供のおやつとして好まれているのだろうか? と思っている。どうなのだろう。我が家には子供がいないので推測の域を出ないが。

肉まん・あんまんは季節商品なので、商品入れ替えにあたってそろそろ陳列棚には並ばなくなる。でも、今年は、「巣ごもり消費」現象で、まだまだ肉まん・あんまんの需要がありそうなので、例年通り陳列棚から撤去するのは早いかもしれない、と思われてくる。かといって、私には仕入れの権限はないので、なんともいえないが。

 

 

「コロナ自粛」をぶっとばせ!

相変わらず新型コロナ陽性判明者が新たに発表され、全国的に外出自粛ムードに包まれている。
北海道は、とうとう三週連続で「週末の外出自粛」要請がでた。一週目の時よりは規制が緩やかになったとはいうものの、感染予防の為に人混みを避ける等、緊張を強いられる外出には変わりない。新聞記事で、「コロナ自粛」という省略語を見た。今年の流行語になるかもしれない。

そして、外出自粛要請三週目の一昨日と昨日、土曜日は用事があって私は札幌駅周辺に出掛けた。予想以上に混雑していて驚いた。すれ違う人々となるべく距離を空けるようにして歩いたが、難しかった。大半の人がマスクをしており、私もマスクを着けていた。
だが、新型コロナ陽性者に関する情報では、マスクをしていたにも関わらず感染してしまったというケースもあり、果たしてマスクで感染がどれだけ防げるのか?と私は疑問を感じるようになっている。世間は「マスク!」「マスク!」と大騒ぎで、マスクをしないで外を歩くと犯罪者扱いされそうな勢いだが・・・。

昨日の日曜日は、日帰り入浴施設に行ってきた。実は先週の日曜日も日帰りで定山渓温泉に行ってきたのだが、予想に反してけっこう賑わっていた。昨日も同様で、閑散としているという印象はなかった。私が利用した温泉施設を見た限りでは、自粛ムードというのは全く感じなかった。結局、大多数の人が、「そう自宅にばかり居るのは耐えられないよ。」という訳か。

勿論、新型コロナウイルスに感染しないように用心するのは大切だ。が、過度に感染を恐れて気持ちがギスギスして何も楽しめなくなるのは嫌だ。なんでもかんでも自粛では、景気の悪化を招いてしまう。いざ自粛が明けた時に、好きだった店や企業が閉店・倒産してしまっていた、ということになったら悲しい。

 感染リスクが高いとされている場所は避けつつ、なるべく以前と同じく生活を楽しみたい。

きょうの禅語。

心静即身涼(こころしずかなればすなわちみすずし)
心が穏やかであれば肉体も爽やか。
「感染リスクが高い場所・状況」を自分なりに考えてそれらを避け、心穏やかに過ごす方が健康的だ。自分も新型コロナウイルスに感染するかもしれない、どうしよう、とあれこれ考えて情緒不安定になったりしたら、新型コロナウイルスには感染しないかもしれないが、不健康といえるのではないだろうか。

 

 

締切日今昔

昨日は副業の提出締切日だった。夜10時30分頃なんとか仕上がって送信した。
パソコンでの仕事というのは便利だと改めて思った。新型コロナウイルス感染の問題で在宅勤務可能の人々は一時的にそちらに切り替えるというのが増えているらしいが、私の副業の場合は最初から自宅のパソコンを使っての仕事なのでこれまでと何も変わりない。パソコンだと、完成した仕事のデータも一瞬で先方に届いてしまうので、締切日に夜遅くまで作業できるのが有り難い。

漫画の同好会に入っていた時、会誌に掲載する漫画の原稿を、毎回締切ギリギリか締切を延ばしてもらって描き上げて、夜遅くに郵便局に車を運転して行っていたことを思い出す。締切日までに確実に届くには何時までに原稿を持っていけばいいのか、郵便局に電話で問い合わせしたりしていた。私が漫画を描いていた頃は、アナログ一辺倒だったので、郵送するしかなかった。
データで一瞬で送信できてしまう仕事というのは、締切に追われる負担が軽減される。
車を運転する心配(事故を起こさないようにという緊張とか)もないので精神的に楽だ。

この仕事をやりきるまではなんとしても新型コロナウイルスに感染する訳にはいかないと思っていたが、これでひと安心だ。といっても、今後も感染には用心を怠らないようにしたい。私の場合、何かに一区切りついてホッと気持ちが緩んだ時に風邪に罹りやすい傾向があるので油断禁物だ。

きょうの禅語。

一日不作一日不食(いちにちなさざればいちにちくらわず)
一日にするべきことをしなかったならば、一日食べるべからず。といった意味か。

食べる為に働くのか? 働く為に食べるのか? という疑問がふと浮かぶことがある。
実は先程、きょうは仕事が休みなのもあってリラックスしてお菓子を食べ過ぎてしまったと思っているのだが、きょうは、美味しいお菓子を食べられた事に感謝して、明日は精々体を動かして働こう! と考えることにしたらどうだろうかと今思っている。
でも、食べ過ぎは、やはり良くない。

健康第一

ワンピースが完成して以来、残り布を使ってバッグを作り、それだけでは飽き足らず結局はポケットティッシュケース・きんちゃく袋・ポーチまで作ってしまった。気に入っている柄の布だったが、ここまで続けざまに作ると、さすがに疲れた。
同じ柄の布を見るのも飽きた。(好きな布でも、やり尽くすとこうなるのだと知った。)バッグその他の小物をまだ一度も使用していないというのに。そもそもワンピースからして一度も着ていないのだ。

作る行為が楽しくて夢中で作り続けていたが、すべて完成してしまうとなんだか気が抜けてしまった。着るつもりで、使うつもりで作っていた筈なのに、これでは本末転倒ではないか。
編み物も、帽子を完成させてひと区切りついたので、そろそろ本格的に部屋の片付けにとりかかるか。3月に入って暖かくなってきたことだし・・・。と思ったが、副業の締切日が迫っているので、こちらの方が優先か。
いつまで経っても部屋は散らかったままだ・・・。

それでも、今のところ私は体調に変化がなく、日々やりたいことができるので有り難いことだ。
新型コロナウイルスは感染していても無症状のことがあるというので油断はできないが。)
私もいつコロナウイルスに感染して倒れるかわからない。とにかく今は、締切日までに副業を終わらせなければ。

諸行無常(しょぎょうむじょう)
すべての事柄は、常に同じとは限らない。

明日もきょうと同じ平穏無事な日とは限らない。
きょうやれることを精一杯やらなければならない。
世界中が新型コロナウイルス感染の恐怖に包まれている今、この禅語が心に響く。

 

 

 

なぜだ!? 納豆の謎

この前のブログでトイレットペーパーがデマで完売という話題を書いたが、私の勤務先のスーパー(「Qストア」としておこう。今後、この名称で記すことにする。)陳列棚は、今朝見たところ以前のようにトイレットペーパー・ティッシュペーパーのパックが豊富に積み上がっていた。どうやら騒動は落ち着いたようだ。

と思ったのだが・・・。また新たな謎が発生した。
納豆だ。

今月に入ったあたりから、品出しをしていて『やけに納豆の売れ行きがいいなぁ。』と感じるようになっていた。日が経つほどにその思いは強まり、ここ2、3日は、朝出勤して納豆の陳列棚を見ると、ほぼすっからかんという状態が続いている。トイレットペーパーの次は、納豆か!?


『一体、何があったんだ!?』

数年前、ダイエットに効くとして某テレビ番組で紹介されたのがきっかけで、納豆が品薄になったという出来事があったが、今回は、それは考えにくい。
おそらくコロナウイルスに関連するものだろう。これだけコロナウイルスへの不安が増大している中、こちらの方がダイエットよりも関心を集めるに決まっている。きょうも、納豆はほぼゼロだった。さすがに、疑問を抑えられなくなり、

「このごろ、やけに納豆が売れてるけど、何かあったんですか?」と、同僚に話しかけてみた。
すると、同僚が言うには、あるテレビ番組(番組名は知らないとのこと)で、ウイルス感染を防ぐ免疫力を高める食品として納豆がいいと紹介されたらしいとのことだった。

今度はテレビ番組が原因の買い溜めか!

本当に免疫力がつくとしても、昨日きょう納豆を食べだしたところで、それまでよりも免疫力が飛躍的に上昇する訳ないだろうと思うのだが・・・。

ダイエットやら免疫力アップやら、納豆くらい人騒がせな食品というのは他に無いのではなかろうか? 納豆に罪はないのに・・・。

それにしても、店側としては購買量が増えるのは大歓迎なのだろうが、品出しをする身としては、納豆の棚が残り少なくなる度に、残っている他メーカーの納豆を、本来はその置き場所ではない所に寄せ集めて並べるものだから、翌朝私が品出しをする時は、どの場所にどの品が置いてあったのか記憶をたぐり寄せるのに苦労する。(脳年齢のせいもあり?)

まあ、それが私の仕事なのだから仕方ないが。

眼横鼻直(がんのうびちょく)

眼は横に並んでいて鼻は縦に付いている。当たり前のことだが、その当たり前のことをしっかり心に受け入れること。
開店時間になってスーパーの店内に入ると食品陳列棚に食品が豊富に並んでいる。当たり前の光景だ。その当たり前の光景を作る為に、私は品出しという作業をしているのだ。
今回のような騒ぎで陳列棚がカラになり、どんなに大量の品が入荷しようとも、開店時間までには、なにがなんでも棚を品物で埋める! を当たり前に日々こなすのみだ。